週末、仕事を終えてようやく我が家に辿り着いた。
先週同様に東京へ出張へ出掛けてのまさかの大地震に
16年前の阪神淡路大震災を思い出した。
11日は夜間業務を終えてビジネスホテルでひと眠りしていると
猛烈な揺れに目が覚め、一昨日も少し揺れていたので多少はまたか?!
みたいな想いも有ったがその揺れはあまりに長く激しいものだった。
16年前も確かこんな感じでTVをつけるとそこには凄まじい光景が映し出されていたのを思い出したのだ。
昨日もTVをつけると相当に被害が拡大しそうな予感がした。
なんでこんな時に東京に出張になったものか・・・
金曜日の夜間業務が終れば俺のミッションも完了して、ちょっとした達成感が味わえそうな気分に浸りながらベッドで寝ていての大地震。
どうしたものかとTVを眺めながら仕事をどう乗り切るか冷静に考えていた。
揺れが収まって風呂に入り、支度を済ませた頃に俺の宿泊先へ客先の責任者が仕事の中止を連絡しに訪れてくれた。
まだ、余震が続くなかの来訪に有り難い気持ちでいっぱいになった。
今回の仕事のメンバーとも何やらチームを感じ始めた矢先だけに何とか最終日を乗り切りたかったのだけども状況が状況なだけに仕方ないなと諦めた。
落ち着くと夜が明けて予約した新幹線に乗れるかな?と考えていると余震は続きTV報道は東北地方の震災風景を映し出すのを見て予定通り帰路へ付くのは無理かもな・・・
断続的な地震、まるで時限爆弾のように信越、茨城沖でも地震発生の報道が流れると滞在するホテルの周辺もやばくなるかも!
って言うか地震の連鎖が日本列島を襲うんではないか?!などと不吉な予感がし始める。
昨晩は眠れずにTV報道を見ながら帰路につく手段を思案していた。
どうやら東海道新幹線下り方面は通常通りの運行となりそうなので、どうやって東京駅まで行くか・・・
夜明け前に地下鉄、東京メトロが運行しているのを確認してからホテルをチェックアウト。
東京メトロで東京駅へ!
丸の内線に乗換え電車が走り出したと思ったら会社の携帯が緊急警報が鳴るのと同時に電車が緊急停止した。
窓越しに眺める東京の風景は至って普通なのだが・・・・
ちょっとした停車の後にすぐに走り出す。
東京駅の新幹線乗り場は少し騒然とした雰囲気が漂っていたが定刻通り新幹線は
走っており帰路に付けた。
時間が経つにつれ被害の全貌が明らかになるだろうが相当にひどい。
と言うか、まだまだ地震の猛威は日本列島を震撼させるのではないかと言う想いからか昨日は一睡もしなかったのに新幹線の車中、眠ることはなかった。
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被害は想像を絶する状況が時間が経つにつれ明らかになって来る。
地震発生直後は東北、関東太平洋沖地震と称されていたが
東日本大震災となっているようだ。
これほど、広域に渡る被害を及ぼすとは驚くとともに被災された方々に
お見舞いの念とまだ、救出されておられない方々の1日も早い救出を
祈るとともに、亡くなられた方々に御冥福を祈るしか出来ない。
帰宅後もTVは東日本大震災の報道を続けているが今回の被災地は以前
出張で訪れることが多かった地ばかりなので記憶する街並み、建物の変わり果てた姿に
胸が痛む。
仙台空港、仙石線界隈、岩手、八戸、福島県、いわき、郡山等々
思い出深い土地であり車関係の友人が居る仙台、同い年の以前の課長がいる福島。
それにしても、津波の恐ろしさを改めて痛感した。
一瞬にして街を飲み込み、消し去ってしまう凄まじいばかりのパワーに人間とは
如何に無力なものかと。
東京滞在中にメールで連絡を取っていた前課長のOから最後のメールに返信が無い。
御家族共に無事を祈るばかりだ。
しかし、被害がこれ以上広がらないように地震が沈静化してくれると良いのだが・・・・
今は祈るしかない。